2008年05月22日

携帯のオーバーホール

先日、契約しているauの携帯をオーバーホールしてもらうために送り出してきた。

今使っているのは東芝のW47Tという端末である。
ハイスヒード通信(Rev.A)対応とカメラ電話対応という2つのau初を備えながらも、一般向け携帯とほぼ同等の重量、auらしくないFOMAに似たデザインを兼ね備える野心的な端末であった。この端末に一目惚れして、購入したのである。
以上で東芝端末への賞賛終わり。

そのようなキワモノ近い端末であったのが災いしたのか、詰め込み要素が多すぎて最適化されずに製造ラインに乗ってしまったのかは不明であるが、発売と同時に主に2chの携帯機種板で不具合が多数寄せられた。
不具合は主に電池の持ちが異常に悪いという点と折りたたみ機構のヒンジのぐらつきであった。佐野は幸いにも買った当初はこのようなトラブルには見舞われなかったが、使い込んでくるうちにヒンジのぐらつきが発生してきた。いつか修理に出そうと思いつつも、その間のau貸し出しバックアップ機からメールなどのデータが移せないなどの問題もあり、先に先にと延ばしてきた。

ところが、日に日に事態は深刻化していき、ヒンジのぐらつきは大きくなっていき、今では、折りたたんだ状態を自己保持するのが難しいようにさえなってきた。そうして重い腰をあげてauショップに修理依頼を申込んだ次第。まだauの保証が24ヶ月も残っているのでおそらく無償となるとのこと。

そういえば、東芝製端末はこの端末で3台目だが、どんどん品質が落ちている気がする。
気のせいだとよいのだが…。

投稿者 佐野 : 03:44 | コメント (0) | トラックバック

2008年05月20日

他愛の無い落書き

ゴールデンウィークということもあり、久々に東急ハンズでゆっくりと買い物をした。
東急ハンズでは様々な物を扱っているのだが、その豊富さ故につい色々な物を見てしまい、時間切れとなることが今まで多々あった。それから暫くは必要最小限の物を買うに留めていたのだが、先日はゴールデンウィークで時間的余裕もあり、今まで見ていなかったフロアなども観察することができた。

文房具売り場で色々と物を探していたのだが、ある文字が目に入った。それはペンの試し書き用の紙に書かれていて、
『あなたは今どこで何をしていますか。この空の続く場所にいますか。』
という文章だった。
その筋に鋭い方ならこのフレーズから元ネタが瞬時に割り出せるだろうが、残念ながら佐野はそうはいかず、どっかで聞き覚えのあるような……という状態がしばらく続いた。結局、自分では起想することができず、インターネットで探してみると、「ひぐらしのなく頃に」の『you』という歌の歌詞であることが判明した。
このようなサブカルチャーがここまで一般社会に浸透してきていることに驚きを隠すことが出来なかった。と同時に自分が直接関わっているのではないにしろ、このような文化が世間に出てきて申し訳なさというか、うしろめたさを感じた。

投稿者 佐野 : 17:13 | コメント (0) | トラックバック

2008年05月05日

ゴールデンウィーク

日本ではこの時期の大型連休をゴールデンウィークと言うらしい。

高校時代、ゴールデンウィークに沢山の課題が学校がら出されたので、友人とそれを皮肉って『拷問ウィーク(Gomon Week)と呼んでいた。
大学に入ってからは、所属する大学の建立記念日や飛び石の平日が終日休講がゴールデンウィークの間に点在する平日に割り当てられているので、世間一般の人の休暇よりは連続していて長いと思う。今年のゴールデンウィークは初日に大学から依頼されたタスクがあったので、1日目はアパートで過ごしたが、それ以外の日々は帰省していた。

帰省の目的は双極Ⅱ型の治療計画を両親に理解してもらうことである。
一応、主治医との間では、大学生活を1年延ばして、無理にストレスが加わらないようにするという方針で計画が進んでいる。ただ、1年大学を伸ばすと、やはりそれなりの学費や生活費などそれなりの金額がかかってくる。結局、帰省してその旨を伝えると、やはり両親としては、自分が主治医であれば、そのように治療計画を立てるが、4年間で卒業してほしいとのことだった。無理をして持病が悪化する可能性も考え、結局、話はすれ違いに終わった。

この両親のダブルスタンダードな意見には閉口したが、人間、所詮利己的な生き物である。仕方ないのかもしれない。それとも、事の重大性が理解されていないのだろうか。
やはり精神科領域の病気は簡単に数値化できるものではないので、両親に限らず、そこら辺を理解してもらうのは大変である。

投稿者 佐野 : 02:40 | コメント (0) | トラックバック

2008年04月13日

柴胡

佐野の通院しているクリニックでは漢方製剤での処方も行っている。
佐野も漢方では十全大補湯を処方してもらっている。

主治医もどちらかというと漢方の方に力を入れているみたいで、処方薬のストックは圧倒的に西洋薬より漢方の方が多い。なので、佐野の場合は、ほぼ確実に院外処方になってしまう。
それは兎も角、そんなクリニックなので、クリニックに掛けられているカレンダーがツムラの作った漢方カレンダーだったりする。今まで、一パターンしか見たことが無いので、全科共通だと思うのだが、見たことの無い方に説明すると、上半分もしくは左半分がその月の漢方薬の生えている写真で、下半分んないし右半分がカレンダーのスペースとなっている。
診察の際はそのカレンダーを見ながら次回の予約を入れるので、必然的に毎回目にすることになる。そんなカレンダーなのだが、今月の漢方は柴胡であった。

柴胡と書いて、「サイコ」と読むらしい。和名はミシマサイコで主に解熱・鎮痛目的で処方されることがあると説明されている。
ここまで書くと、もう大体あとの流れは分かっていると思うが、精神科で柴胡である。これを処方されたら中々味の効いた駄洒落かもと思い、エントリーにしてみた次第である。

投稿者 佐野 : 23:32 | コメント (0) | トラックバック

2008年04月05日

サクラ、サク

近頃は桜の開花が様々な所で話題になっている。
桜前線も順調にゆっくりと北上しているようである。

佐野の地域でもいくつか桜が見ごろな場所がある。
他の地域でも堤に桜が植えられている場所が色々とあるようだが、佐野の地域でも例外なく、大きな河川の堤に桜が植えられている。そこを横切るように橋があり、先日自転車で渡った時はまだ蕾のようだった。今日、また用事があり、渡ったのだが、大体が開花しているようで、休日と重なったこともあってか、桜を見物している人や地域のCATVの人が花見の様子を収録しているなど非常に賑わっていた。

同じ桜でも色々と品種があるが、佐野の地域で主に見られるのはソメイヨシノとオオシマザクラである。
おもしろいのが、桜が植えられているその地域によって同じ品種でも微妙に開花時期や期間が違ってくることである。これが県などのブロックならまだ気候の差ということで説明も出来るのだろうが、同じ街でそれほど離れていなくても差が出てくるらしい。
桜の木、それぞれにも個性があるということだろうか。

投稿者 佐野 : 22:04 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月02日

誤解

そろそろスギ花粉のシーズンである。
花粉症の人はネガティブな気持ちで毎日を過ごしているのではないだろうか。幸いにも佐野の家族にはスギ花粉を含め、花粉症の人はいないので、あまり花粉症が話題になることはない。

花粉症では対処療法として、抗ヒスタミン剤が耳鼻科などで処方されるという話を聞く。
佐野は花粉症ではないのだが、トフラニールを服用してから、光線過敏(所謂、光アレルギー)が現れるようになった。最初は薬剤性のもので、トフラニールの服用を中止すれば止むかと佐野も主治医も思っていたのだが、服薬を止めても治ることはなく、『薬剤性』という言葉が取れて今に至っている。
大体、4月中旬から5月始め頃から発病するので、主治医には抗ヒスタミン薬のエバステルOD錠を処方してもらっている。花粉症で同じ薬が出るシーズンと重なっているので、事情を知らない薬剤師からは、「花粉症ですか?」などという質問を受けることがあった。
そんな時は今までの経緯を口頭で説明するのだが、調剤薬局に保管してある患者一人一人のの薬の飲み合わせや既往症、注意点をまとめたファイルに光線過敏と書いてあるのに気づいていないからだろう。調剤も待たせる訳にもいかず、時間との勝負のような気がするので、そこまで薬剤師に求めるのも酷だと思いつつも、その注意書きの存在意義はどうなるのかは不明である。

花粉症なら2ヶ月ほど飲んで、ピークを凌げばいいが、相手が紫外線だと勝手が違う。
4月から11月頃まで、高い新薬を飲むというのは結構財布に負担がかかるものである。

投稿者 佐野 : 23:05 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月27日

誕生日

今日で佐野は21歳になった。

同年代の普通の人が年を取るのは容易いが、メンタルヘルスに持病を持った人が毎年確かに年を取るというのは難しいと自分でも思う。
その原因は希死念慮による自殺であったり、ODから体調を崩す、抗精神病薬の副作用による突発性心不全など様々である。いずれにしろ、人生を全うできたかといえば、そうではなく、夭折という表現が似合う場合が多い。

既に大学を卒業してしまった先輩の言葉が印象に残っている。
曰く、「自分は永遠の17歳です。」というものだ。
あまり詳しく話しを伺った訳ではないのだが、その先輩は大学で生き生きと学んでいたように見えた。おそらく高校でも好きという興味から学び、その結果として、己から学ぶという姿勢を持った大学生活を送ったのだろうと思う。
そう考えるとき、社会に出て様々なしがらみに生きるよりは、先ほどの言葉にあった17歳という学びが生活の中心にあるのを望んでいたように思われるのである。正に自分が信念としている『楽知ん』な生活であり、こういう生活でありたいと思っているものだ。

投稿者 佐野 : 22:44 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月16日

読書 - 心理テストはウソでした

実家に帰っても、特段やらなければならない事が無い。
最近は、ウツも安定期に入っているので、読み溜めた本を読んでいる。まぁ、安定期といっても、佐野の場合は躁の前段階で、過去の経験から言えば、年度明けにも躁転する兆しなのだが…。

さて、今日読了したのは、村上宣寛氏の『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』という本。
この本で批判されているテストは、血液型判断、ロールシャッハ・テスト、矢部田ギルフォード性格検査(通称、YG検査)、内田クレペリン検査である。大多数の人はこのテストの一つは受けたことがあると思う。佐野もいくつかは受けさせられた経験がある。
内容は、血液型判断への批判から始まる。この段階で統計学で用いられる帰無仮説やカイ自乗検定などでその妥協性を探ってゆく。似非科学とも非難される血液型判断を乗せたのは、他の検査ではこの妥協性の検討プロセスを読者に理解させるのが難しくなってゆくからではないかと思われる。さらに、バーナム効果についての著者が行った実験を基にした話も展開される。
また、ロールシャッハ・テストの項では、実際に用いられる10種類の図版が掲載されていたり、内田クレペリンの検査で非定型と判断されない攻略法が掲載されている。
どの心理テストも、妥当性や信頼性が検討されているのだが、統計学に詳しくない人は真に理解するのは難しいのではないかという印象を受けた。著者もそれは自覚があるようで、前書きで難解な数値比較などは読み飛ばしても構わないと述べている。
いずれにせよ、心理テストについて興味を持っている人にはオススメの本である。

投稿者 佐野 : 17:24 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月14日

サプライズ

今日はバレンタインデーである。
チョコレートに一喜一憂している男性の方もひょっとしたら多いのではないだろうか。

今月の11日が診察日で、バレンタインデーが近いので、主治医(女医)からサプライズプレゼントがあるかもしれないと仄かに期待して診察を受けた。
だが、実際にはいつもと何ら変わりない診察で、変わったことと言えば、14日分以上処方できないロヒプノールなど倍量処方で28日分の処方箋を出してもらったこと位である。そもそも、何故こんな期待をしてしまったかといえば、去年はその主治医からサプライズとしてバレンタインチョコを貰ったからである。「秘密にしておいて」と言った辺り、個数限定なのであろう。幾ら数百円の義理チョコでも、やはり嬉しいものは嬉しかったのである。

そのバレンタインチョコを貰った時から主治医とはサプライズプレゼントを貰ったり、あげたりの関係になった。
佐野が台湾へ旅行した際は、以前ジャスミンティーが好きという事を聞いたので、台湾土産にジャスミンティーの茶葉を贈ったこともある。こう書くと頻繁に贈ったり、貰ったりの関係のように思えるかもしれないが、実際は年に1,2回ほどである。
また、一部の人からは『患者と医者』という関係でないと批判されるかもしれない。佐野としては、頻度も少ない上、小さな開業医なので問題は無いと考えている。

果たして、来年はサプライズがあるのだろうか。

投稿者 佐野 : 22:24 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月12日

Rocheに恋して

エントリーのタイトルから内容が全く想像できないタイトルである。
昨日のエントリーで、帰省するという内容を書いた。帰省途中にあった珍しい出来事を掲載してみる。

帰省の際はいつも鉄道を使っている。バスは窮屈であるし、飛行機は環境と財布に優しくないからである。今回もいつもと同じ便の特急列車を利用した。始駅が大都市でやや遅い朝というだけあって、出張に使っているビジネスマンも多い。
駅を出発すると線形の良い区間に入り、列車は微かな走行音を残して走っている。乗客の各々が作業を始めた。佐野は特にする事もなかったので、ぼんやりと車内を観察していた。自分の1つ前の席にはスーツの男性が座っている。彼も作業を始めるようで、荷物棚に置いてある白い紙袋を取り出した。
その紙袋に佐野の何かが反応した。おそらく動物的な反射というやつだろう。再度その袋を凝視すると、紙袋の側面にコーポレートカラーの青色で『Roche』とロゴが入っていた。その瞬間、紙袋に一目惚れしてしまった。彼の作業ぶりから製薬会社のMRか卸関係の人ではないかと推測した。

医療機関に行くと、薬の名前や会社名が入ったノベルティーグッズを見かける。
佐野の主治医のところにも『SNRI』という文字が入ったぬいぐるみや商品名が入った筆記用具などがある。ただ、今まで見てきたノベルティーグッズは自己主張が強すぎたと思う。それに比べてシンプルだけど分かる人には分かるという「あの紙袋」に惹かれたのだと思う。

主治医に頼めばノベルティーグッズを貰えるかな…

投稿者 佐野 : 23:37 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月11日

試験終了

タイトル通り、後期のテストが全部終了した。
後は結果を待つのみである。

明日にでも、自宅に帰る予定を立てている。
帰るついでにと、卒論関係の書籍が揃っているらしい(伝聞形)図書館に行って第1回目の資料探索を行う予定だ。ただ一つ懸念材料があり、その図書館は市立図書館であるということだ。蔵書の量では県立図書館を除くと一番らしいが、市立だけあってレファレンスサービスが十分提供されているかが疑問である。こればっかりは、実際に行ってみないと分からないので判断がつかない。

佐野の大学のある市立図書館では名札に『司書』とある人が数人配属されている。
遠くからコッソリ観察していると、主な仕事は図書の貸出と配架整理だけのようだ。このような働きぶりを見る限りでは別に図書館でわざわざ司書資格を持つ人をわざわざ雇う必要はないと感じる。貸出や配架整理は特別な技能を持たない普通の人でもできるだろう。
佐野が思うに、司書の人がやるべき最大の仕事はレファレンスではないだろうか。この仕事こそ司書の資格が生きてくると思う。ただ、それを主張すると、大規模でない大概の公立図書館ではレファレンスの絶対数が少なく、司書の存在意義が薄れてしまうという問題もある。

佐野の大学では、カリキュラム上司書の資格が取得できるので、ちょっと自分なりの司書論を提示してみた。

投稿者 佐野 : 13:56 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月09日

また寒波

先月末にも佐野の住んでいる場所では雪が舞った。
そして6日もまた雪が舞い、今度は本格的に積もった。このエントリーを書いている9日でさえ、地面にはまばらに雪が残っている。

この街に住んではや3年が経とうとしているが、地面に十分雪が積もる位、雪が降ったのは初めてだ。
街の道路は圧雪状態となっている。太平洋側の街なので、恐らくスタッドレスタイヤなどを装着している車は皆無であろう。丁度、雪が降りしきる中、用事があったので外出したのだが、道路は徐行運転で自転車より遅い始末である。まだ徐行で済んでいるのは良いほうで、何台の車かは雪によってタイヤのグリップ力が無くなり、スタックしていた。
また、雪道での無理な運転が目に付く。恐らく、雪道での正しい運転方法を学んだはずなのだが、使わないので忘れてしまったのだろう。

雪の影響は交通網だけではない。
ガレージの屋根などにも影響を与えている。元々、降雪地帯でないので、屋根が耐雪仕様になっていないのだ。積雪を放置すれば、雪の重みで屋根が崩壊する可能性がある。

今年は異常な位、雪が降ってきた。
地球の気候が異常化していると聞く。オーストラリアでの旱魃や巨大ハリケーンの上陸などである。
もう一度、地球との関係を見直す時期に来ているのかもしれない。既に手遅れになっていないことを祈りながらである。

投稿者 佐野 : 19:27 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月08日

向精神薬占い

最近は「なんとかメーカー」という類の物が流行している。
ひと昔前は、「なんとか占い」が流行っていたように思う。

鮠乃薬品さんのブログ経由で、向精神薬占いというページを知った。
佐野の結果は下のとおり。

ベタナミンさんのあなたは、物事に対する探求心が旺盛。ひとつのことに凝り出すと、時間も忘れて没頭してしまいます。
その集中力はさすが合法覚醒剤!そうしてできた結果を自慢することない謙虚さも、一方では持っています。
普段は物静かでも、勝負時になると人格が変わるところも。自分でも意外な行動を取って、周りをアッと驚かせることもあります。

ベタナミンというかなり稀な薬になってしまいました。
一時期(今も?)は、処方制限の加わったリタリンの代替薬として注目されたりしました。しかしながら、肝臓への負担が大きいなどから普及はしなさそうです。
何かネタの材料にでもなれば幸いです。

投稿者 佐野 : 22:06 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月06日

南蛮いぶし

先日の新年会で面白いことをやっている人がいた。
あまりに奇抜で斬新であったので、ここに記しておくことにする。

食事も一通り終わり、宴も終わりにさしかかろうとしている頃、一人の学生が紙巻きタバコを取り出し、細工をし始めた。紙巻タバコのタバコの葉や詰め物を取り出して、代わりに調味用の七味唐辛子を詰めた。そして、その先端に火をつけ、紙巻タバコを喫煙する要領で吸引した。
すると、喉を焼ききる様な刺激性の煙を吸引したことで、咽た。最初は皆がオーバーアクションだと疑わなかったが、各々が吸引して事実であることを認めた。

佐野は非喫煙者なので、どの位の刺激性か比較対象がなかったので、外から見るだけだった。アルコールが回った頭でこの奇妙な行為が『南蛮いぶし』と呼ばれる山伏の修行に似ている、と思った。
簡単に説明すると、南蛮いぶしとは狭い部屋の中に入って、その中で唐辛子などの香辛料の煙に身を晒す修行をそう呼ぶ。インターネットで検索してみると、その特記な修行スタイルからか、体験記を書いたり、写真を見ることができる。
その理由や目的を調べてみたのだが、いまいちその南蛮いぶしである必要性が分からなかった。まぁ、宗教やそれ周辺の事柄に理性的な説明を求めるのも詮無いことなので深追いはしないことにしておく。

投稿者 佐野 : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月02日

新年会

ゼミの仲間と担当教授とで新年会に参加した。
自分の学科は他の学科とは違い、1月には予定が入っている人が多いので、新年会などは2月になってから開かれる。一応、ゼミの時間に新年会の告知を行ったが、実際の参加者は3割程。もうすこし頑張って参加者5割を目指したいとの教授の言葉。確かに、ゼミ以外でオフの時間に教授と話す機会はこういった飲み会などに限られてくる。先ほどの弁はそれを察してのこと。

定刻より約1時間ほど遅れて新年会が開かれた。
最初、教授の姿が見当たらず、肝を冷やしたが、携帯に電話するともう中で待っているとのことだった。実に酒類が好きな教授だけある。今回の新年会は時間制ではなかったので、当ゼミにとっては長い滞在時間だった。この後、2次会が予定されていたのだが、人数の関係から断念することに。

結局、佐野は幹事と教授が寄っていくという教授オススメの串屋に行った。
やはり寂れた都市だけあって、飲み屋が少なく、知り合いに偶然にも会うということが多々ある。今日も大学でお世話になっている職員の人が飲んでいるのを発見した。最終的にはそちらに席を移して、飲むことに。

適当な量を食べ、与太話が一通り終わる頃、閉店となり解散。
改札で教授を見送り、自宅へ帰った。

投稿者 佐野 : 23:25 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月01日

読書 - 空の中

有川浩の自衛隊3部作『塩の街』、『空の中』、『海の底』のうち、『空の中』読了。

作者もライトノベルだと公言している。しかしながら、その実態はハードカバーで約500ページというある意味凄い内容。出版不況ということもあり、ハードカバーの文芸本などめっきり買わなかったが久しぶりに買ったのがこの本。

どことなく文体がライトノベルっぽい感じがしないでもないが、ライトノベル特有の唐突な展開などが無く、しっかりとした脈絡である。1680円を出して読むに値する作品に仕上がっているのではないだろうか。この文芸作品をハードカバーで出す英断をした講談社及びメディアワークスの関係者に拍手。
それを証明するかのように、手元にあるのは第8刷である。2年間で8刷というと、出しても売れない出版不況のなかで特にハードカバーとしては健闘している部類であろう。

ちなみに今のところ空自には女性パイロットはそこそこいます。しかし、イーグルドライバーはまだいません。念のため。

投稿者 佐野 : 16:20 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月25日

小雪舞う

今住んでいる場所は殆ど雪が降らない地域なのだが、今日は小雪が降り、若干積もっていた。

佐野の実家は冬になると、当たり前のように雪が降る地域なので、今まで雪を見ても何も感じなかかった。それが、大学の関係で太平洋側の雪が降らない地域で生活するようになると、雪が降ると顔を上げて空を眺めてしまう。実に不思議なものである。
やはり日本人にとって雪というものはアーキタイプなのだろうか。(佐野はフロイトの精神分析は嫌いなのだが…)

そう感傷に浸り続けることが出来るのは子供位である。
大人は雪だからといって休むことは出来ない。元々、降雪地域ではないので、自動車がスノータイヤを装備しているなんていうのは珍しく、当然のことながら交通は遅延する。今日も雪で徐行している車を何台も見かけた。まぁ、これくらいの積雪ならまだ良いほうで、10cm以上も積もるとなると一大事である。建築物は耐雪仕様でないため、雪下ろしが必要になってきたりと、社会に大きな影響を与える。

どうやらここ数年は気候の変化が激しすぎるような気がする。
これも地球温暖化の影響だろうか。

投稿者 佐野 : 22:33 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月24日

情報流出防止

佐野の実家から荷物が届いた。
荷物といっても、特別な物が入っている訳ではなく、新米位である。

その荷物の梱包にはダンボール箱が使われていた。ダンボール箱に貼られた内容物を表すシールには、

『偽造防止プロッター紙(A4)単片』

と書かれていた。
あまりにもシュールな光景だったので、暫く脳の思考が停止してしまった。

このダンボール箱は父親の勤める企業から持ってきたものらしい。最近では個人情報などの流出事故がニュースになったりする。このコンピュータからの情報出力はこの専用用紙に限定させることで紙媒体経由での不正流出を防止するのが狙いらしい。出力内容は様々で汎用使用のため、それほど特殊な紙ではない。最近は公官庁などでも使われている、コピーすると潜像が浮かび上がる紙である。
さらに機密性の高い文章を出力する、際はパール印刷などの特殊印刷を施した紙を使用すると父親は言っていた。こちらは残念ながら、現物を見たことが無い。
さらに最近では、レーザープリンタと専用ソフトを使うことで、普通の紙に電子透かし情報を埋め込むことが可能な製品も販売されている。こちらは、誰がどの端末から出力したかという情報まで埋め込むことが可能だという。

投稿者 佐野 : 22:30 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月23日

暫しの休憩

今週で大学の講義も大体のもの今年度分が終了する。
試験は2月から始まるのだが、それまでは開講回数が一定数に満たなかった講義の補講期間となる。幸いにも佐野が受講している講義は無事開講定数を超えたので、補講はない。従って、試験が始まるまでは暫く自由な時間が増えることになる。

佐野の大学は後期試験が2月にあるという全国の大学でも試験期間が遅い方である。他の大学では、早いところでは1月初めから試験という大学もある。一般的な大学より時期が遅れている為、他の大学の友達と休みを合わせるのに苦労するという人は多いと聞く。

さて、この休みをどう使うかだが、今まで手をつけれなかった本や雑誌類が大分溜まってきたので、読書というのもいいかもしれない。ただ、悲しいことにその本や雑誌類が文芸本の類ではなく、アカデミックなもので、図書館に入って缶詰にならないと中々読み進められない。あまりに難解なので一日かけてゆっくり読み進めるのが良いだろう。
それとも、休みなので誰にも迷惑がかからないという点からメンヘル系の薬を試すのもよいかもしれない。最近はハルシオン0.25mg+ロヒプノール2mg+ヒルナミン5mgでも中途覚醒してしまう日がある。主治医に相談して休みの間に最適な処方を探しておくというのも悪くない。

と、色々と考えているのだが、そうこうしている内に休みが終わってしまいそうで怖い。

投稿者 佐野 : 17:50 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月20日

Raven

佐野の住んでいる都市は都市部の近くに結構広い森がある。
その森を結構な数のカラスがねぐらにしているらしく、夕暮れの時間になるとカラスの大移動が見られる。それを小説風に描写してみると下のようになる。

もうすぐ世界は終末だ。
そう唐突な宣告を受けてどの位経つだろう。人々の動揺は最初激しかった。だが、今は諦めにも似たムードが漂っており、都市機能もそれなりに維持されている。
おもむろに腕時計に視線を落とす。針は5時過ぎを指していた。もうすぐ夕暮れである。
ふと空を見上げる。夕暮れ時で茜色に染まっている雲は、人々の心の内側を象徴するかのように鈍い色であった。そして上空にはカラスの大群。
何時の頃だっただろうか。世紀末という風景を予想したことがあったのだが、今の風景はまさにそれとよく似ている。
上空を飛び回るカラスの大群と喧騒。鈍く彩度の低い空。不気味なほどまでに終末をよく表していると思う。

こんな感じです。描写が下手なのはご容赦を。
偶然にも、その森の近くにハブ的な役割を果たしている駅があり、佐野も時々利用しているのだが、夕暮れ時にはカラスの大群に遭遇することがある。雲低が低い曇り空の夕方には本当に世紀末を思わせる風景と遭遇するのである。
カラスに悪気は無いのだろうし、最近は慣れたのだが、初めてこの都市に来た頃は少々不気味に思ったのだった。

投稿者 佐野 : 21:55 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月17日

バレンタイン

気がつけば早いもので、近所の小売店では正月の福袋などの縁起物を売っていたかと思うともう、バレンタイン商戦に突入している。
カラフルなラッピングに包まれたチョコレートを見るとそれだけで何故か幸せな気分になってくるから不思議なものである。

そういえば、去年のバレンタインはちょっとしたサプライズがあった。
佐野の主治医は女医なのだが、佐野と相性が良く、気軽に話しをすることができるドクターである。
その主治医が「ちょっと内緒にしておいてね。」と言いつつ、カルテなどを書く机の脇にある袋から小さな包み箱を佐野に手渡した。時期が時期で、女性からの贈り物といえば大体は見当がつく。アパートに帰ってから中身を開けてみるとやはり小さなチョコレートの詰め合わせだった。精神科医というのは変わり者が多いということは耳にしていたが、今まで何か贈り物を貰ったという経験は初めてだった。
貰った以上はホワイトデーに何か返しをしなければならないだろう、と思っていたのだが、残念なことに3月は実家に戻ることになってしまった。
結局、あの時の返礼はゼミ旅行でのジャスミンティーの茶袋になったのだが、今思えば、商戦に惑わされることなく独自の返礼ができて良かったと思っている。

今年もまたバレンタインが近づいてくる。
ちょうど、バレンタインの日から近い日に診察の予約を入れてある。今年のバレンタインはどんなサプライズが待っているのだろうか。

投稿者 佐野 : 23:53 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月16日

竹筒

文房具を整理していたら、竹製の小さな筒が出てきた。
今まで一度しか使ったことがないのだが、必要な事態になると便利な道具、といったところか。

この竹で出来た筒であるが、長さは3~4センチ程で内径は調度指が入る位で出来ている。竹の節がある部分を使っていないのがミソである。
ここまで書いて、使い道が分かった人は鋭い人だと思う。佐野は東急ハンズの文房具セクションで手に入れたのだが、ひょっとしたら伊東屋などの大きな文具店でも扱っているかもしれない。
そろそろ招待を明かそう。筒の内側に指を入れて、紙を折るために使うのである。数枚程度の紙折の作業なら指で折っていても問題ないだろう。だが、それが数十枚となると指先にも負担になる。そこで登場するのがこの竹製の筒なのである。
ある文房具の本には禅宗の人が経典を作成する際に発明した、と書かれている。確かに竹はその当時日本ではありふれた素材であったし、表面の滑りが良くこのような作業には向いている素材である。正しく必要は発見の母である。

今のところ、この竹の筒を使ったことは一度しかない。
ゼミの仲間と海外旅行に行く際に必要なことをまとめた小冊子を製本する作業のみである。実際のところ手で折るのと大して速度は変わらなかった。ただ、小冊子という名前の割にはページ数があったのと、それなりの部数を刷ったので指先に負担にならずに済んだ経験がある。

投稿者 佐野 : 18:09 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月13日

暖冬

どうやら今年というか今冬は暖冬らしい。
らしい、というのは佐野の実家は日本海側なのだが、大学の関係上、今は太平洋側に住んでいる。従って伝聞形なのである。

昨今は原油価格が上昇し、それに伴い灯油の価格も上昇している。そういう意味では暖冬で消費量が少ない今年の冬は歓迎されるのかもしれない。佐野も無駄なエネルギーは消費したくないので、寒い冬は歓迎していない。歓迎していない、というのは主観的ものであって、客観的に考えると、やはり暖冬は異常である。
本来は冬は寒いものであって、暖かいものではない。そういえば、去年の夏は記録的な猛暑であったことが思い出される。とすると、やはり地球の温度が上昇傾向にあるのではないだろうか、と素人ながら考えてしまう。もちろん世界はそんな単純な二項法で成り立っているのではないのだが、先日発表された気象庁の平均気温の変化でも日本の平均気温は温暖化していることが分かる。

温暖化すると様々な問題が表れる。熱帯地方のマラリアの日本上陸などである。暖冬がこうした温暖化の地球からの警告であると考えるとやはり、暖冬だからといって手放しに喜べるものでもない。

投稿者 佐野 : 13:08 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月08日

歩き続けるということ

そろそろ就活シーズンも本格化し始める頃である。
以前のエントリーでも多少触れたが、就活を始めるにはその対象となる分野をまず最初に定めなければならない。いくつかの選択肢が既に挙がっていて、最終的にどの分野にするのか、の決断を下さねばならない時が近づいている。
こう、色々と考えていると段々と思考がネガティブになっていく。ひいては持病のメンタルヘルスにも影響を与えることになりかねない。かといって、逃げる分けにもいかないのが辛いところ。

収集したフレーズ集より一つここに掲載してみる。

   人生は短い。
   だから、生きること、愛すること、学ぶこと、貢献すること。

   生きること。
   人生に生きる価値を与えるものは何か。
   何が欠けているだろか。

   愛すること。
   どうしたら分かるか。どうしたら伝えられるのか。
   その愛。

   学ぶこと。
   どこで答えを見つけられるのか。
   なにを学ばなければならないのか。
   あるいは、忘れなければならないのか。

   貢献すること。
   私は人々にどのような影響を与えるのか。
   わたしの夢は何か。

   わたしの心に燃える炎は何か。
      ―――スティーブン・R・コヴィー「Life」『第8の習慣』収録

ここまでポジティブに考えれないけれど、短い人生、少なくともこうでありたいと切に思う。
もっと深く考えねば…。

投稿者 佐野 : 17:13 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月06日

風邪または肉体疲労

正月に色々な人と接することがあって、風邪ウィルスをもらってしまった。

この時期(正月)にやっている開業医が少ないのと、運悪く今日は日曜日でさらに開いている開業医は少ないだろうと思われる。
まぁ、こういう事態も予測していた範疇である。体温を測定し、インフルエンザ特有の症状が出ていないか確認して、年末に精神科医に処方してもらった感冒薬としてPL顆粒、解熱剤としてボルタレンと胃薬のムコスタ、滋養強壮にツムラの医薬用漢方十全大補湯を飲み、横になって休養。
佐野の場合、インフルエンザに感染すると、医学の教科書的な症状(関節痛・頭痛など)が出てしまうのでおそらくインフルエンザではない。まぁ、朝だけボルタレンを飲んで、昼以降は抜く予定なので、それでも熱が下がらなければ疑ってみる必要がある。ちなみに、インフルエンザにボルタレンは厳禁である。

バイトのシフトが入っていたのだが、無理すれば、問題ないのかもしれないけれど、逆に他の人にウィルスを移してしまうと問題であると判断して休養するという選択肢を選んだ。

年始は色々な行事を控えているので、一日休めば回復してくれると有難いのだが、そう上手くいくかどうかはあまり自信が無い。
正月は人混み避ではウィルスが多い、という典型的な風邪のもらいかたになってしまった…。

投稿者 佐野 : 08:41 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月01日

頌春 2008

あけまして、おめでとうございます。

2008年がいよいよ動き出しました。平成も20年という20代に入り、昭和というと一昔前というイメージさえ漂ってきています。皆さんの2007年はどの様な年になりましたか。そして、どの様な年にしていきたいですか?
佐野の2007年の振り返りは今年を振り返るで取り上げました。
2007年はSSRIであるジェイゾロフトが国内で承認されたり、うつ状態の初期薬物治療と希死願慮、タミフルと精神異常状態(幻覚など)と直接の関係は見受けられないとに科学的に判断されたなどといった事柄がクローズアップされた一年でした。こう見て見ると、少しずつですが、日本の精神医療も本来の精神医療に向かっていく流れを感じます。
2008年はそういった流れを少しでも力強いものになっていけば…、と思っています。
ネット上の課題としては、また、リハビリと自己の記録がてら始めた当ブログを続けることが当面の目標でしょうか。

本年も空ノ記憶をよろしくお願いします。
そして皆様にとって2008年が幸多い年となりますよう、祈願しております。

投稿者 佐野 : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月31日

今年を振り返る

今日は大晦日。
2007年も早いもので今日で最後である。
この一年、どのような一年であっただろうか?

佐野にとってこの2007年は病気という面では非常に安定した時期であったように思う。
毎年、年度初めの4月に訪れる双極性障害Ⅱ型の軽躁とその後の鬱の時期を上手くコントロールすることに成功した。波は若干遅れては来たが、従来ほど生活に影響が出るほどではなかったように思う。
それと同時に3回生という大学生故の悩みが多々来た。それはゼミでのプレゼンや卒論であったり、大学卒業後の進路であったり。佐野の大学にも全国各地からここに集った仲間たちがいる。進路では大多数の道から外れて一人果敢に目標に挑戦する人。
進路というのは字の如く道である。ある道を進めばある景色を見ることができるだろう。しかし、その道以外の景色を見ることは叶わない。そういうものではないかと思う。

最近読んだ本の中から好きな箇所を引用

   遠い未来、その肉体は大樹になり、その魂は古道を越えて世界を渡る風になるだろう。
   その頃また会おうや。
      ―――恒川光太郎「風の古道」『夜市』収録 p.144

この文章、人間の遥かな旅を表しているようで気に入っている。

投稿者 佐野 : 08:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月29日

あの空

探し物で本棚を漁っていたら懐かしい詩が出てきた。
その当時はこの内容にとても共感したものだ。ここに全文を引用する。

   ずっとずっと
   空の色は変わらないけれど
   季節は巡り
   その時々の顔をする
   見上げている僕たちの
   心も季節とともに
   変わって行く

   あの時と同じ空の色は
   あるけれど
   あの時と同じ僕たちは
   もうここにはいない

自分もそうなのだが、詩というものは中々思うように書ける物ではない。言葉で表すと難しいのだが、こう精神が尖っている時の方が良いものが生まれたりする。自分だとその尖っている時というのは精神的に不安定だったりするのだが…。
おそらくは小説などと違って言葉一つ一つにより大きい重みがあるからだろう。
世界でも類稀な多様なコトバを持つ日本語。その言の葉を大切にしていきたい。

投稿者 佐野 : 12:20 | コメント (0) | トラックバック