2008年06月04日

実習日誌

このブログでも取り上げたが、佐野は某資格取得の為に大学である課程を履修している。
その資格取得の為には実習に色々と面倒(と傍からは思われるが本人は楽しい)実習があるのだが、その実習では原則として毎日実習日誌を書かなければならなかった。そんな実習も3月の中央研修会で最後で、後は実習日誌を提出して評価を待つのみ、という状態だったが、先日その日誌も提出となった。

最終年次である4回生になったので、今年度履修登録を行い、実習の評価で無事『可』以上なら卒業時に資格授与となる。
実習受入先からの実習報告書さることながら、実習日誌の内容も評価に含まれるので、大学からは誤字脱字のないように、と念を押されている。だが、実習日誌は自筆でないと認めれないといういまいち理解に苦しむルールがあり簡単に文章を修正することは出来ない。自大学だけならこの大学で取得を選んだ自分が悪いのだが、他大学でもそうなのだから少々厄介。

色々と悩んだのだが、結局、自分は精読せずにそのまま最終提出をした。
性格的に一度気にすると、それを止めることが出来ないという性格なのは一番自分が知っている。おそらく誤字脱字を発見したら、もう悩んで仕方が無いだろうと思っていたので、覚悟を決めてそのまま恰も読んだふりをして提出してきた。
佐野はメランコリー親和型気質という概念について必ずしも同意している訳ではないが、こういう点ある種生真面目なところが強迫性障害などに影を落としているのではないかと思う。性格は治すものではないが、実生活に支障が出ない程度に残り少ない学生の間になんとか上手くしなければならない。

投稿者 佐野 : 02:57 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月20日

中央研修会(その5)

これで中央研修会関係は最後のエントリーです。

その後、高校の同級生はその日のうちに提出しなければならない書類があるとのことなので、その大学まで東京見物を兼ねてついて行った。大学で一休みしていると、やはり都会の大学生は小洒落ているな、と思っているともう用事が終わった。曰く、単に事後報告と作成済み書類提出のみらしい。何故か近くにある神社に参拝して、そのまま下宿があるという三軒茶屋まで地下鉄で移動。
東京都特別区内のJRなら良く使う路線図は頭に入っているので大して困ることは無いが、地下鉄は勝手が違う。この巨大都市の中で毛細血管の如く今も拡張し続けている。それゆえ大学から三軒茶屋までの間は友人の後をつけるのが精一杯だった。

下宿には他人を上がらせない主義らしく、暫くこの後どうするかを協議して、一旦荷物を預かってもらって、近くの居酒屋で食事をとることにした。お互い東京と西日本の端では距離的にもスケジュール的にもなかなか会うことができず、もっぱらメールの交換で会うのは3年ぶりである。熱いビビンバを突きながらお互いの近況を報告したり、他愛の無い雑談をした。
そこそこ大きい大学でも、自分たちの様に同じ高校から同じ専攻へと進んだという例はあまり無いらしい。さらに佐野は高校は理系で友人は文系という珍しさである。

食事が終わった後、一つ探求書があったので近くの書店まで案内してもらうが、見つからず、結局3店ほど行ったが、在庫切れということだった。さすがに何時間も一冊の本に付き合わせるのは悪いので、下宿に戻り、電話で紀伊國屋に問い合わせを行う。暫くして、新宿本店なら一冊だけ在庫があるということなので、取り置きを頼んだ。
今までインターネットで紀伊國屋に発注をしたことがあるのだが、実は本店は一度も行ったことが無い。道に迷うのでは、との心配にも、友人は地下鉄から上がればすぐわかると言う。結局、友人が言ったように地下鉄の階段を上ると、すぐ紀伊國屋の看板が見えた。レジで本を受け取り、中央線経由で東京駅に戻り、東海道新幹線で帰路についた。

長文にもかかわらず、最後までお付き合いしてくださり、ありがとうございます。

投稿者 佐野 : 00:51 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月19日

中央研修会(その4)

そして研修会も最終日へ。

昨日のグループ別ディスカッションの結果として、全グループの前での総括発表を行った。
発表原稿は東京の某大学で学ぶ女子の方が夜を徹して練り上げたので、非常に洗練されており、グループの主張が明確であったと思う。どんなグループにもいるこういう人には頭が下がる。
ただ、一つ残念だったのが、他のグループに佐野のグループと似たテーマで発表があったことである。プラスに考えれば討論による意見の相乗とも取れるが、まだ社会経験の薄い大学生にそれを求めるのは少々厳しいのではないのかと思う。もう参加する必要はないが、来年以降の主催者の動向に注目である。

研修の最後に演習として、小論文の提出があった。
主催者のホテルでの自由時間に考えておけという理由からか、本来は秘密のテーマが意図的(?)にリークされ、学生の間で流れていた。
佐野も研修日誌を提出した後の睡眠前の時間に骨子を考えていたので、後は肉付けして小論文にすればよい。唯一問題なのは字数制限があり、下書きなしの一発勝負で300~400字に収めなければならないことが大変であった。他の人が続々と書き上げていく中、ひたすら書くという作業はかなり辛いものであることがわかった。定刻までに書き上がらなかった場合は、終わるまで帰れないので、必死になって作業した結果、定刻ぎりぎりで書きあがった。

書きあがった小論文と交換に中央研修会の修了証を交付してもらい、全ての日程は終了。
怒涛の2泊3日だったが、色々と考えさせられることもあり非常に有意義であった。有意義なものになったのもひとえに参加者の自覚と主催側の並ならぬ努力の結果だと思う。そう思ったので、交付時に主催者側の職員に「有難うございました。」と挨拶できたのだろう。

これで全ての大学の基礎講義から始まった一連の研修が終わる。
全て成し遂げれたということで安心と、もう知的好奇心に満ち溢れた研修を受けれないという残念な気持ちとが絡み合い複雑な気持ちだった。

解散の後、同室で知り合った他大学の人と携帯のアドレス交換。社会人だとこれが名刺交換になるのだろうが、学生なので携帯のアドレスを交換した。
本来ならここで新幹線で帰るのだが、ちょっと用事があるので、寄り道をした。詳しくは次のエントリーで。

投稿者 佐野 : 20:06 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月18日

中央研修会(その3)

結局、日付が変わっても中々寝付けなかった。

朝食をとって部屋を整理した後に、ホテルを後にする。
今回は運転手が慣れたのか道を間違えるというアクシデントもなく研修施設に到着した。どうやら到着が予定より若干早かったらしく、研修を担当する職員の朝礼が終わっていなかったので、待機することになった。朝礼が終わった後、昨日使用した会議室に入って午前の事務連絡的な参加者全体での朝礼があった。

そうこうしている間に、定刻となり、講義が始まる。
今日は午前中は講義だが、午後はグループ別のディスカッションの時間がある。予め発表原稿を用意してから研修会に参加するよう、主催者から通達があったのだが、果たしてこれで内容が良いのか自信が無い。ディスカッションの第二部にはグループ別討議の時間が用意されている。ひょんな事から議長を務めることになったのだが、上手く進行できるか心配である。
そんな一参加者の心配をよそに午前の講義は進行していく。講師の方の詳細については書けないのだが、世間でもよく知られた肩書きを持つ人の講義もあり、刺激的であった。70歳を過ぎてもまだその口調には若々しさが残っており、参加者の将来への期待が言葉から現れる内容で、恐縮であった。

昼食を挟んで午後。
いよいよ恐怖のディスカッションである。施設の構造がいまいち把握できなかったので、危うくグループ別の会場に到着するのが遅れそうになった。この間に舌下でレキソタンを15mg投与して後のデスカッションに備えてみたのだが、お守り程度だろうか。
ディスカッションでは第一部の全員発表の時間は3分間となっていたのだが、佐野は早口で喋ったにも関わらず時間超過してしまった。超過を知らせる鈴が司会で鳴らされたが、結論まであと少しなので無視して予定原稿を全て朗読した。主催者からのコメントはそこそこ評価してくれた内容であったので、安心した。
全員が発表し終わり、主催者が抜け、ディスカッション第二部が始まった。
佐野を議長にして昨夜グループで決めたテーマについて円卓会議を開く。しかし、皆同じような意見で多様性が無い。会議の方針をブレーンストーミングに変更するが、参加者がブレストに慣れていないのか本来の効果を発揮しない。グループリーダーに協力を求め、なんとかそれらしい意見を列挙して書記の女子学生に渡す。
このディスカッション第二部で出た内容を明日の全体会議で発表しなければならないのだが、この拙い内容から原稿を書き起こしてくれると書記の学生は言ってくれた。有難いことである。

グループリーダーも書記も他大学の学生なのだが、佐野はあまり人見知りをせずに接することができたのは奇跡だろうか。
定刻となり、ディスカッションを終了し、昨日のホテルへと向かった。

投稿者 佐野 : 21:55 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月17日

中央研修会(その2)

辺りを夕闇が包み込む頃、今日の研修スケジュールが全て終わり、宿泊施設へ移動する。

宿泊施設は公共交通機関を使えばさほど離れているとは言えないのだが、40人近くの人が大挙して移動するのは迷惑なので、都バス2台を貸切って移動する。すぐに到着、の筈だったのだが、佐野の乗ったバスは運転手の人が道を間違えるという前代未聞のトラブルにより到着が遅れた。

チェックインして、部屋の鍵をフロントでもらう。
夕食の前に荷物を部屋に移動させる必要があるので部屋に向かう。角部屋だったので、見晴らしは良いのだが、同室者が多いのには困った。佐野は見ず知らずの人とすぐに打ち解けるタイプではないので、暗雲たる気持ちになる。同室に同じ大学の人が少ないのは、他大学の人と触れ合ってほしいという主催者の意向らしい。自分の就寝スペースを確保し、夕食会場へ向かう。
この手の研修会は大概食事は質素なものが多いのだが、何故か今回は今までと比べて豪華である。大学からこっそり補助金が出たのか、それとも主催者の見栄なのかは不明である。おそらく永久に解明されない謎として残るだろう。

夕食後に事務連絡があり、その後、入浴や他大学の学生との懇談、研修日誌の記述などをやっているうちに消灯時間になった。消灯後はそれほど騒ぐ人はいなかった。恐らく皆、移動、研修と疲労が溜まっているからだろう。佐野は就寝前に睡眠薬が処方されているのだが、翌朝に睡眠薬が持ち越すとまずいので、量を少なめにした。
その結果、消灯後数時間が経過したが、やはり少量では眠りにつけなかった。ホテルの窓からはNTTの代々木タワーがぼんやりと夕闇に影を作り、航空識別灯の赤白の灯火がよく見える。視線を下にやると明かりが煌々と灯った眠らない新宿の街が見える。
佐野の大学のある寂れた都市ではもう闇夜が支配している時間帯である。この日本という狭い島国でそれほどまでに多様性のある場所が存在することを思うと不思議な気分になった。

投稿者 佐野 : 17:15 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月16日

中央研修会(その1)

大学の活動の一環として、東京で開かれる研修会に参加した。

佐野の在学している大学は西日本の東端にあるので、東京と大阪という2大都市のどちらにも行くには不便な場所である。それでも、今回の研修会に参加しないと予定の資格が取得できないので、東京で開催される研修会に参加した。
研修会は佐野の大学以外にもその分野を専攻している学生等が全国から集まって講義やデスカッションを行うというものである。講義の内容を書くと非常にテクニカルタームが多くなり、説明で大変なことになるのが明白なので明記は避ける。ご了承願いたい。今回はそれ以外の出来事について書いてみる。

研修会は代々木駅近くの施設で2泊3日の日程で行われた。
参加者は全員現地集合だったが、佐野は新幹線と山手線を乗り継いで代々木駅に集合した。残念ながら佐野の沿線のJR東海ではまだIC切符が使えないのだが、東京に来てSuicaの利便性に感動する。おそらく、利用可能になったら、即座にIC切符に切り替えるだろうと思う。それ位インパクトがあった。
さて、代々木駅に到着するとトラベルケースを持った同じ大学の学生がいる。彼曰く、集合時間まで時間を潰しているのだという。なお、偶然にも同系統の大学に進学した高校の同級生も今回の研修会に参加している筈である。暫く駅前で待っているとその同級生を発見し、雑談する。こういう同系統の大学に同級生が進学するのはレアケースらしく、周りの学生からは奇妙な視線を送られた。

定刻になったので、予め指定された会場で受付を済ませる。
今回の研修会の会場は人数の割には大きく話によると160人近くを収容できる会議室らしい。机には紙コップが置いてあるなど細かい点まで気配りがされているように感じた。受付が終了した人から、地下会議室で更衣と荷物の整理を行った。一通りオリエンテーションが終わった後、本題の研修に入る。
午後から研修に入った関係で、今日はそれほど内容は進まなかったが、一つミスを犯してしまった。いつも使っている万年筆を更衣の際に地下会議室に放置してしまったのだ。ノートを取らない訳にはいかないので、急遽、新宿の伊東屋で販売されているペリカノという万年筆で凌いだ。まだ購入したばかりでペン先が自分に慣れていない為、書きづらいが仕方ない。そんな状態だったので、次の休憩までは頭によく入らなかった。

そんなこんなで、次の休憩時間に急いで万年筆を取りに戻り、また研修。数コマの講義を受けた後はもう夕闇が迫っていた。

投稿者 佐野 : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月10日

空洞化

今日は日曜で、特にしなければならない事も無かった。暇つぶしにインターネットに接続して、サイトを見ていると、佐野より6年程前の同じ大学の先輩のページを見つけた。

かなりの分量があって、それが2年分もとなると、結構時間がかかるものだ。
だが、それには大学での学習についても触れられており、この大学の教育システムの変遷をみてとれた。例えば、史学関係の講義についてでは今は半期になっているが、この6年位前はリソースに余裕があったので、前期と後期が続いていた。
また、講義内容もより実践的な内容で座学だけでなく、実習なども組み入れられていたようだ。

この講義は教授が参加している学術学会が出した『若手育成の指針』によれば、修学年数1年でかつ、年間24コマ以上の講義を推奨している。しかしながら、佐野の大学ではこの分野を教えれる教授が1人しかおらず、別の学術学会で理事を務めていたりと多忙等で、現実には半期で15コマしか大学では用意していない。これは休講にならなかった場合であり、佐野が受講した今年度は休講が多く、恐らく12コマも開講されていないと思われる。
ただでさえ、この分野は直接儲からないという理由で人気がない。それ故に人手不足となり、佐野の大学のような事態が発生するのである。現場にいない人は、何でも言えるので、現実不可能な指針がまかり通るのだろう。
幸い、今のところこの分野は一部の献身的な人の努力によって、学会を含め、存在できている。しかし、今年佐野が体験したような事態が恒久的に続くと、興味を持った人も興味が薄れ、この分野全体にとってマイナスとなるであろう。佐野が一番恐れているのは、この分野を研究する人がいなくなってしまうということである。現に、佐野の大学の教授もあと数年で退職するという話を耳にした。その後は誰が教えるのだろうか。

日本の学術にも空洞が生まれつつある。

投稿者 佐野 : 22:03 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月04日

体力勝負の試験

史学関係の後期論述テストが今日行われた。

担当教官が自分のゼミの教授なので、落とすわけにもいかず、なんとか答案と提出することを目標にして昨日は夜遅くまでかかって、回答を作成した。
この教官のテストは体力勝負である。教授が講義最終日に問題を公開するので、試験日当日までに答案を予め作成しておき、試験はそれを解答用紙に写すという試験形式である。前期は3題記述だったものが、後期になって4題記述に変更。
佐野の場合、調子が良ければ、毎秒100文字位のペースで筆記できるのだが、今回は問題数が増えた為、回答時間(40分間)で全問回答することが出来ず時間切れ。可能なかぎり要点を纏めたと思うが、どう評価されるかは分からない。
可能な限り要点だけを回答用紙に記載しようとしたが、時間切れは予定外。前期は4題のうち3題を教授が選んで記述する形式だったのだが、今回は4題とも記述する形式になっていた。ここで時間配分を間違えたのがミスの原因だと思われる。4題とも答案を作成して、あとは答案用紙に写すだけというところでの時間切れだけに余計悔しい。
佐野の持病の腱鞘炎が発病しそうで怖くなるテストというものも珍しいと思う。

おそらく単位は取得できると思うが、評価の方は自信なし。

投稿者 佐野 : 22:52 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月28日

試験範囲公示

佐野の通っている大学は何故か2月から後期試験が始まる。
世間の大学の様子を見ていると、どうやら佐野の大学は遅いほうらしい。高校時代の友人には既に試験が年末から始まってもう終わりという人さえいる。そんな中、やっと試験の時間割が公示された。
時間割自体は先週から公示されているのだが、肝心の範囲が今になって伝えるというはた迷惑な講師もいて、これからが試験本番というところである。幸いにも今年は佐野の取っている科目は日時が分散傾向にあって、多少は楽ができそうである。

試験といえば、先日個人輸入したスマートドラッグのレビューがまだアップしていない。
薬自体は試したのだが、色々と精神的に疲れが出て、纏めてアップする気力が無いので、もう暫くお待ち頂ければと思う。

この大学には学術的な正解を求めるというより、出題者の意図に沿った回答が高評価されるので、中々試験勉強も難しい。もっとも、学術的といっても、かなり狭い世界なので大局的に見た正解と講師の正解が離れているということが多々ある。これには毎年悩ませられる。
あとは、非常に抽象度の高い問題や、原典をそのまま出題して日本語に訳すという一般的な大学生に要求されているレベル以上の問題を出題する講師もいて要注意である。この講師はこの大学に入ったのが今年なので、まだ学生のレベルを把握していないのかもしれないが、原典で注釈が全く無い問題が出題されるらしい。個人的には注釈無しは4回生で卒論の口頭試問か大学院クラスだと思うのだが、それを平気で出題するので恐れ入る。講師の名前を晒したいのだが、流石にそれは止めておく。

兎に角、この大学には変人ばかりなので、どんな問題が出題されるか、今から戦々恐々である。

投稿者 佐野 : 00:44 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月18日

写真撮影

ちょうど今頃、同じ講義を取っている学生が実習に出ていて教室内には空席が目立つ。
たまたま実習の大学側の窓口となっている教授と講義の教授が同じだった。今講義を進めても実習生と差がついてしまい、不公平になるというので、先日、実習先に見学に行った時のある出来事を話してくれた。

平日は言わずもがな休日も休みはあるとはいえ、実習はあるので、その教授は実習生の様子見と事後反省会でのネタ探しの為に実習先を訪問した。
博物館や美術館などといった文化財を扱った施設を利用したことのある方なら分かると思うが、大概の施設はカメラ等の撮影は禁止されている。禁止といっても、ストロボを使わなければ可という所から全く駄目で撮影するなら申請書を提出させるところまである。
今回の実習施設も例外なく『撮影はご遠慮下さい』と入り口に小さく書いてあった。
それを教授は見落としたのか、真相は謎だが、兎に角実習生の実習記念(ここに正規採用されるのは殆ど無理)にと実習生を撮影して回った。そうしていると、偶然にも実習生の横に正規女性係員のいる場所で撮影してしまった。彼女が何故撮影行為を注意した理由は不明だが、「撮影は禁止です。」と教授は怒られてしまった。

一応、学会内ではそこそこ有名であるし、第一、その施設の事務以外の実働職員で知らない人の方が少ない教授である。写真を施設に損害を与えるような目的で撮影していないことは明白であったが、禁止事項は禁止なので、来年からは許可を得て撮影しようと思ったのだった。

なお、余談になるが、別の分室で教授の勤務中の教え子と遭遇した。
今までの経緯を話すと彼は苦笑し、「事務方で知らない人もいますし…。」と言って、この分室では思う存分撮影してもらって結構ですよ、と言ってくれた。

投稿者 佐野 : 02:42 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月14日

卒業論文 題目提出

佐野の通っている大学では、題目提出といって、3回生の末に4回生で行う卒業論文(研究)の題目を提出しなければならない。何故このようなシステムになったのか理解に苦しむのだが、早めに卒業論文に対する意識を持たせるようにするためかもしれない。

さて、この題目提出なのだが、提出の際に論文の指導教官兼主査となる教授の署名・捺印がいる。予め教授には大まかな研究内容を伝えてあり、特に問題ないとの意見を貰っているので、その場で署名・捺印してくれるだろう。ただ、今後の論の展開方法について意見を仰ぎたかったので、先日、研究室に出向いた。
以前にこの研究室の書類の散乱具合は別のエントリーで紹介したと思う。
適当に書類の束を横にずらして置いて、自分の作業スペースと椅子を確保する。以前紹介した卒論のテーマに関わる本を学生が持ったまま卒業してしまったのが戻ってきたので借りる。寂れた中核都市では図書の入手もそう簡単にはいかない。その点、都会の大学は恵まれているなぁ、と思う。
その本を読みつつ話をしていると、以前提案してもらった某国立機関の見学の話に移った。日本に同じ分野の機関がいくつもない(恐らく唯一)ので、研究色が強いとのことである。見学することは難しくないのだが、目的意識をしっかり持って、下調べをしてから行ったほうが良いとのことである。

また、研究の一環として、実際に行われている事を見学する場合は、まず手紙で連絡を取ったほうが良いらしい。今までの経験からは、手紙ではお役所仕事で読まなかったことにされそうで、電話で、と考えていたが、やはり丁寧さでは手紙が勝るとのこと。
この教授自身、若いときは国立官庁で公務員をやっていたのだから、その自身の経験も考慮に入れた上で手紙を薦めているようなので問題ないだろう。

投稿者 佐野 : 21:08 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月09日

ある一日の記録

大学の講義自体は殆どが旧年中に終わっているので、年明け初めての大学は今日が最初であった。

学科別になっている学科研究室にある専門書籍の棚から幾つかの本を取り出して、参考にしながら講義レポートの作成。この講義のレポート数はその年の教授の研究作業の進捗次第で変わるらしく、去年は8本も書かされたらしいが、ことしは3本のみ。しかもレポートのテーマもその時の気分で決めている風がある。
とはいえ、実際にレポートを作成してみると、最初は殆どテキストをそのまま抜粋すればよかったのに対し、今回のは、完全に自分で論をくみ上げていくものである。このような所から、やはり適当な難易度をつけ、徐々に難しくなっていくように考えられている。
あれこれと頭を捻りながら、レポートの骨子の作成は完了した。あとは適当にまとめる作業が残っている。

午後は、新年の挨拶を兼ねてゼミの担当教授の研究室に出向いた。
担当教授は自分の学科では比類の無い研究室の散らかりで有名である。今回訪ねた時も相変わらず書類が山積していて、どう考えても年末に掃除をしたとは思えない。過去にも、講義受講者全員のテストの答案を紛失したという前歴がある教授だ。なお、答案は後に発掘され事なきを得た。
研究成果は素晴らしく、学問的には優れた人物なので指導内容には問題無いと思うが、卒論で必要な書類を無くされるのという一抹の不安がある。少々今後の予定について話をし、卒論を巨視的に考えるためにも某国立機関の視察を提案して頂いた。おそらくはGW前後に出向く予定。

ある日の大学生の記録でした。

投稿者 佐野 : 22:12 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月04日

今年の目標(学び編)

昨日のエントリーでは、日本人と宗教観について考察してみた。
さらに篝火に当たりながら新年の目標を考えてみた。
まずは、大学生としての「学び」について。

早いもので、佐野も大学の最終学年となってしまう。最終学年といえば卒論である。
その前に、去年のゼミでは、各々が論文などの文献を読み解き、皆の前で説明するという内容であった。時間的な都合もあり、一人が説明の番になるのは年3,4回程度ではあったが、学友の質問に冷や汗をかいたことも多々あった。プレゼンや読解力が不十分な3回生のプレゼンに容赦なく質問攻めにし、改善案を提示する指導教官。いかに自分の読解力が不足しているかをありありと体験させられた。
こうして文献を精読することの大切さを教えてもらうのである。

さて、卒論の内容であるが、題目はほぼ確定しており、指導教官である教授からもOKサインが出た。
去年のゼミでの反省を生かして、高望みのレベルではなく、まずは客観的に文献を精読することを大切にしようと思う。より客観的な論文を書くためにはそれが基礎ではないだろうか。その基礎を大切にしていきたいと思う。

最後の大学生活(となってほしい)となるので、後悔することなく有意義に過ごしたいと心から思う。

投稿者 佐野 : 17:14 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月02日

正月休みと試験勉強

佐野の大学も例に漏れず、正月休みがある。
例年の傾向としては正月7日を過ぎた頃に大学の講義が再び始まる。そして、2月ごろから各講義の試験が行われる。

佐野は座学だけではなく、体を使った講義を履修している。体を使った講義ではこの正月休みは鬼門である。
正月休みというのが一つの空白期間となってしまい、体を使った講義ではそのやり方などを忘れてしまいがちである。自分で必要な道具類を揃えれば、自分ひとりでも練習することが出来るだろう。しかし道具類を揃えるとなると気の遠くなるような金額になってしまい自宅で手を動かしてするという練習は事実上不可能である。
従って、非常に分かりにくいテキストを読み解きながら、ノートに内容を整理しつつ、脳内で練習するということになる。実はこの方法にも落とし穴がある。講義の最初のほうに教授が「頭では出来ると思っていても、実際に手が動くまでには差がある。」と言っていた。この講義では日本広しと言えども扱っている会社の少ない道具が多々ある。それ故に壊さないかなどと緊張してしまい、十分な結果が出せないのかもしれない。

よって、試験対策ではノートに纏めたものを元にして、手足を実際に動かして所謂イメージトレーニングを行うことになる。
しかし、傍から見ると空白の空間で手足を動かしている光景は非常にシュールに見えてしまうことは間違いない。

投稿者 佐野 : 22:34 | コメント (0) | トラックバック